秋山日出夫先生

>> 生誕100周年を祝う会

>> 秋山日出夫先生プロフィール

>> 秋山先生にまつわるテキスト集



生誕100年を祝う会

 去る2005年3月5日(土)、明治大学 大学会館にて、『秋山日出夫先生生誕100年を祝う会』が開催されました。開催を記念して作成され、当日会場で配布されたパンフレットを掲載いたします。

 >> 秋山日出夫先生 生誕100年を祝う会パンフレット
  (PDF形式 363KB)



秋山日出夫先生 プロフィ-ル

「合唱は心のハーモニーから」

 明治38年2月14日
  東京本所厩橋にかざり職人の次男として生まれる。
  小学校の音楽を外山国彦先生に教わる。
  中学校の卒業旅行で京都知恩院へ行き、
  僧侶の声明を聞き和声の素晴らしさを知る。

 大正9年
  東京府立工芸学校(現都立工芸高等学校)精密機械科に入学、
  旋盤を勉強しながらハーモニカを吹きまくり、レコードも吹き込む。

 大正11年
  芝区(現港区)西応寺町の吉村商会(現東洋通信機(株))入社。

 大正12年
  関東大震災に遭遇。全身火傷の少女の賛美歌を聞き
  合唱とは「掌」を合わせると信じるようになる。

 大正14年
  山口隆俊(他に紺野・榎本)氏と東京リーダーターフェルを設立。

 大正16年頃
  コロンビアと契約。中野忠晴リズムボーイズの一員として活躍。

 昭和9年
  東京リーダーターフェル第2代指揮者に就任(昭和28年まで)。
  戦時中は軍の要請で、軍歌を歌い地方を慰問して歩く。 

 昭和20年
  戦後、合唱の指揮者として生きていくことを決意。
  「富士山は美しい。その山頂は専門の音楽家がやるだろう。
   自分は裾野をやればいい。」

 昭和26年
  東京六大学合唱連盟の結成式で、来賓挨拶。(明治は混声)

 昭和28年
  HGメンネルコールでコンクール優勝、この後3年連続優勝。
  優勝男の異名を取る。

 昭和34年
  明治大学グリークラブ専任指揮者就任。

 昭和41年
  文部省芸術課推薦で欧米を回る。千葉県音楽振興協議会会長。

 昭和42年
  文化功労賞受賞。

 昭和46年
  藍綬褒章受賞。

 昭和50年
  京王プラザホテルにて古希祝賀パーティ開催。

 昭和51年3月20日
  川崎市の病院にて逝去(享年71歳)。
  勲四等瑞宝賞受賞。



秋山先生にまつわるテキスト集

 >> 合唱への道は遠かった(合唱未来論)
  (「ハーモニー」No.7 昭和48年4月 / PDF形式 28KB)

 >> 音楽を工場へ農村へ ── 産報合唱指導の報告
  (「音楽の友」昭和17年6月号 / PDF形式 43KB)

 >> 作業服と歌 ── 歌って戦う戦場
  (「音楽の友」昭和18年8月号 / PDF形式 21KB)

 >> H・G欧米を駆けめぐる
  (昭和41年/ PDF形式 40KB)

 >> 合唱道中50年
  (「ハーモニー」No.13 昭和49年10月 / PDF形式 29KB)

 >> 秋山日出夫先生のプロフィール
  (旧国鉄合唱団の記念誌より / PDF形式 32KB)

 >> 積み上げられた音楽(東京リーダーターフェル55年史より)
  (昭和55年3月発行 / 作曲家 清水脩 / PDF形式 17KB)

 >> 秋山日出夫 ── コンクールの神様のH話
  (作曲家・指揮者 青木八郎 / PDF形式 30KB)

 >> 座談会 合唱運動に生きた人 秋山日出夫
  (「ハーモニー」No.20 昭和51年7月 / PDF形式 49KB)


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